無常の先に全体に公開
2006年01月26日12:55
最近、仕事とイベントと家庭のことで頭が一杯だったが、辻信一氏と話す機会があり、久々に環境問題について自分の感覚を整理してみた。
辻氏は環境運動家としては比較的悲観的で、「もう取り返しがつかないかもしれない」と言っている。
が、僕はさらに悲観的で、「あきらかに、取り返しがつかない。人類は行くところまで行くしかない」と思っている。

人類は様々な局面で、すでにデッドゾーンに踏み込んでいる。
一つでも危ういことに、幾つも踏み込んできている。ヒトが生るには適さない環境への変化という視点では、それらは相乗効果の様に見えるだろう。
今後、加速度的に環境は変化し、想定外な問題が際限なく奮発することだろう。

全ては密接にリンクしているので一つの項目を抜き出すことは稚拙だが、遺伝子と原子力の技術進歩は自然環境破壊レベルで人類の存続を脅かす要素になると思う。
危険性の裏腹に利権や目先のメリットが交錯しているので、比較的深刻さが表面化しにくいと思うが、最先端に近い部分の技術情報に目を通すとつくづく人類は狂っていると思う。これに限らず表面化していない要素は山ほどあると思う。
地球温暖化やゲノム環境の一様化など、日々叫ばれる環境問題は、大きな流れの膨大な変化に対する、小さな切り口から見たわずかな結果でしかないだろう。
人類はこの流れを突き進むしかなく、行くところまで行くしかないのだろう。
その人類であることをしかと認識しなければ、人類の新たな道と思って進めど、己の歪が広がるばかり。

無力感を拭い「私にできること」を考えよう、実践しようという呼びかけは大事だ。
絶望ではなく、希望を世界に広げることが、今の世の中には必要なことで、それを促すことを大前提として。

しかし、しかしそんな人類であることを腹に据え、パラダイムシフトしようと覚悟を持つなら、
そこに絶望を見据える眼が必要になるのではないかと思う。

数十年〜数百年、ほんの数世代という間に、環境は加速的に変化し想像も付かない状況になるだろう。
外圧が増せば遺伝子が大きく変異することもあり得る。その可能性も含めて、かなり短期間で今の人類が生き残れなくなる可能性は高い。

外圧の多い環境で、精神的にも、身体的にも、社会的にも生き延びるには、強く生きる力が必要な時代になっていく。
家族の誰かを見捨てなければならない状況は過酷な選択だと思うが、そんな過酷さが奮発する時代と言っていいかもしれない。
更に言えば、そんな過酷さを抱えながら、福祉を考えなければならない時代なのかもしれない。

ヒトはどこへ行くのか。
表題に「無常の先に」と書いたが、僕は無常の先には何も無いと思っている。
様々な宗教的な解は、人それぞれとして。

それを腹に据えねば、道がないことも見えず、無いことを知らなければ、進むこともできない。

道がないから進めないのではなく、道が無いからただ生きる、ただ進むという原点に立ち返れるのだと思う。

コメント

2006年01月26日 13:18
・・・。ただ進む。
ホリエではないが、人は失敗しても0に戻るだけ。
たしかにそうかもしれない。0に戻ることが私自身、急務なのかもしれない。”私にできること” それすら見失ってきている自分が垣間見れる。
息抜きの合間に人生2006年01月26日 13:50
そうそう。

やることは決まっている。
振り返ることは必要だが、懐古趣味になる必要は無い。
昔のことを美化するのではなく、未来に向けて必要だから、今と昔を融合して、自分のやることを自分なりにやるナリ。

僕も地球環境はもうダメだと思っている。
100%ダメと言ってもいいと思っている。
希望は無いのかと言えばそうかもしれない。
だからと言って投げやりになるのが自分の生き方じゃない。
自分が由しとする生き方があり、それを死ぬまで全うする。
あとは働きかける。

それ以上やることはオプションであり、介入になるかもしれない。

ただ、

誰もがダメだと思っている。あるいは感じているからこそ、そんな中でも嬉しく楽しく生きていくことを僕は選ぶ。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」
※この世の中はおもしろくないかもしれないけど、面白いことはたくさんあるから、俺は俺で楽しく生きていくよ〜〜。ツマラないと言ってたら、ホントにツマンなくなっちゃうからサ!
(クッシ〜***解釈)
あゆみっくすじゅーす2006年01月26日 15:47
行くとこまで行って、初めて身にしみることがたくさんだと思う。
自分も、なくして初めて感じることばっかり。

もしかしたら、0に戻すために今があるのかも。

とか何とか言ってみても、
私はよく分からん。
自分が言ってる事もよく分からん。
でも、それでも、私はworld peaceを夢見るのです〜。
空も木も大地も空気も人も動物もみんな、生きるものすべてのpeaceを。

なんだか難しいし、そこまで考えられる頭もまだないけど、
「私にできること」の、「私」がそれだけ増えるかにかかってる気がするな。
ここまできて取り返そうとすることすらエゴかもしれないけど。
でも、それでも、どうにか良くしようとあがくことが、せめてもの地球へのお礼というか。。。
そのくらい、私を産んでくれた大地へ示したいって気持ち。
的はずれかな(^^;)まぁいいや。
subaru2006年01月26日 19:10
気付いてから0に戻れるならいいんだけど、厳しい事を言うときっと戻れないだろうね。
S氏が「行くところまで行かないと皆気が付かないし・・・」と言っていたけど、
僕はそんな意味で言ったんじゃなくて、行くところまで行ったらもう先は無いんだと思う。
もしくは、誰もが気が付いたところで、人類はヒトに適した環境を圧迫し続けるかもしれない。
滅ぶまで。

人類は自然と共生しつつ平和な世界を実現できない要素を内包しすぎてしまった。
例えば、自然と共生しながら、持続的な環境を維持するためには総人口を減らすしかないという矛盾を内包するように。
もしくは、科学技術という刃に頼るか・・・。
刃を持つには、それ相応の精神力が必要になる。未熟な子どもが刃を持てば、他人を斬るか、自分を斬りかねない。

僕はこんなことしているけどLove and Peaceな人間じゃない。
愛だ感謝だなんて、それは当たり前のことで生きるということの根幹に静かに流れている程度のことで、
敢えて声を大にして言うことに違和感を持っている。
また、共生論は共死という考え方なくては、まとまらないと思っている。

極端な例えでは、登山中にパーティで遭難したら、いざとなれば仲間を食べるぞと思っている。
共倒れするよりは、誰かが生き残る為に誰かが犠牲になるのはやむえない。
この価値観の背景には「食べる」という選択肢の是非の問題ではなくて、
全滅よりも一人が生き残るとなったとき、誰が生きるべきかは自分かもしれないが、他人かもしれないということ。
例え自分が犠牲になる立場にまわったとしても、誰かを犠牲にすべきという意見を肯定できるからこそ、
自分が生き残るために他人を犠牲にできるのだと思う。

自然と共に生きることは、生きるために殺生することも当たり前なこと、逆に殺されることも仕方ないこと。
お互いがお互いの生き死にを当たり前と、仕方ないと肯定しあうことが、生きる根底にある「感謝」ということなのではないかと思う。

生きる覚悟は死ぬ覚悟、生きる覚悟は殺す覚悟、生かす覚悟は死ぬ覚悟。
共に生きようだけでは、説得力ないでしょ。
(共死については、書き出すと長いので別記します。)


「平和な持続可能な社会を後世に残すために私にできることを」という模範解答は外圧の多い環境下では、どこまで耐久性があるのか?
その耐久性次第では、せめてパラダイムシフターやオピニオンリーダーはより上位な思想が求められるのではなかろうか。

逆に言えば、この模範解答は、世界中のどんな人にも、どんな環境下に対しても、通用するのだろうか?

日本でLove&Peace、持続可能社会の為に、「私にできることを」と言えば、殆ど人が賛同するでしょう。
それって、このぬるま湯日本ゆえの盲点なんじゃないだろうか?
そうならば、リーダーはもっと真理に近い解(悟)を模索しておいた方がいいんじゃないだろうか?

この問いは、そんな自問自答なのです。
JOSE2006年01月30日 12:04
午前中からなんとなく読むには少しばかりへヴィーでした。
文脈を無視して、僕の意見を述べさせてもらえるのなら
退廃の美学、死の肯定、そしてスバルさんが言うような絶望を見据える目が浮世をしなやかに生きる鍵になってくるのではないでしょうか?
一つ言っておきたいのは、人類と地球の共倒れなんてあり得ないであろうと言う事。
たとえ地球が核の雲で一億年覆われ続けたとしても、その中で生き続ける生命は存在するであろうし、雲が晴れれば雪ノ下の種は芽を吹く、それでいい気もする今日この頃

人類亡き後は、鯨やイルカなどの水棲哺乳類から、哺乳類の次の種族が生まれる可能性が高いそうですよ
subaru2006年01月30日 20:46
敗退の美学が万人共通(原始的意識)かどうかはともかく、死の肯定は現代人に不足がちな生命として根源的な要素だと思う。

そもそも地球の存続の定義が良く分からんが、人類の存亡とは別次元だな。
段階としては、現在の人類が滅び、進化した人類が滅び、高等生物が滅びという順番だろうね。

外圧が増して、遺伝子が大きく変化した場合も人類が滅ぶと呼ぶのかどうかは、解釈が分かれるところだよね。
でも、ボノボと人は違う生き物だって言う人の方が多いわけだし、そのくらいの差があれば、新しい種と考えていいと思うけどね。
ということも含めて、上記では人類が滅ぶと書いている。

まぁ、ここで前提にしている外圧適応の収束態という進化論自体が亜流なので、議論をできる前提にないんだけどね。

ただ、いくら科学が心理を解き明かしたところで、科学が教えてくれるのは、人間がどこから来たのかということだけ。
人間がどこへ行くのか、どうなるのか。
それは自分たちで考え、作っていかなければならないのだろう。

進化論のアクア説支持派としては、人類が再び水棲化するってのもいいんじゃないかと思うけどね。