物々交換は念願でした。交換の一歩を踏み出したので、今後は精力的に拡大していこうと思う。
自分の生産物と言えばソフトウェアくらいしかなかったので、物々交換の機会がなかった。
過去にライブイベントで、お金のない参加者は自らの生産物を支払って、それをゲストにギャラとして支払う試みをしたが、初めの試みにはハードルが高すぎた。(物で支払う人がいない)
現在は森から薪を出しているので、これを薪窯の「ふくろうのパン」と交換させてもらっている。
連続燃焼の薪窯は焚いた煙が直接オーブンに流れるので薪の材質がパンの味を左右するということで、薪の調達には苦労されているらしい。
今後は塩やその他の調味料にも手をだしていきたいので、物々交換の和を広げていきたい。
自分の生産物に限らず、生産者のネットワークを拡大し活発に物々交換を行うネットワークを作りたいと思っている。
少し前までは集落単位では当たり前に行われていた光景だったはずだ。勝手に玄関先に取れすぎた作物を置きあうという話はよく耳にする。しかし、コミュニティが希薄になったり、コミュニティの形成すら困難な集落が増え、そんな当たり前の交換風景は急速に失われつつあるのだろう。
そんな気軽さで交換を行える和を広げていきたいものだ。
都市農村間の交流を促進による僻地の経済活性は、地域おこしの潤滑剤としては欠かせないものかもしれないが、そもそもこの虚像に満ちた(破綻寸前の?)市場経済から脱却し、新しい時代を築いていきたい。
「お客様は神様」という言葉は商業の常識のようになっているが、そんなのは間違っている。
消費者の欲望に応えつづけ暴走しつづけるグローバル経済、また欲望を急かし搾取する一部の人間。
もちろん、消費する人がいなければ商売は成り立たないので、消費者への感謝も忘れてはならないが、
それ以前に感謝を忘れてならないのは人様ではなく神様(自然界)ではなかろうか。
マーケットが食卓に合わせるのではなく、食卓を産業に合わせるべきだと考え、昔からその仕組みの可能性を考えていた。
豊作・大漁になれば値が崩れるから捨てる・・・キャベツが豊作なら皆でキャベツを、秋刀魚が大漁ならみんなで秋刀魚を食べればいいだけの話ではないか。(規模が大きいとその仕組みを運営するのが難しいんだけどね)
物々交換は、そんな生産者の都合(自然の都合)の原点に立ち返ることができるのではないかと思う。
写真は「ふくろうのパン」の並河農園の窯とパン。薪と交換してます。