数日前、片手間に流し観たテレビ。
要介護の母を連れて、ベトナムで第二の人生を歩みだした59歳の女性のドキュメンタリ。
初めは母を自分の身勝手で見ず知らずの土地へ連れ出したことへ負い目と、
若いころから第二の人生はベトナムと決めていた志の間で葛藤しながらも、
次第にベトナムでの有意義な人生に満足してゆく。
儒教の教えの根強いベトナムでは誰もがお年寄りを支え合うし、取り巻く人々(環境)の心持の違いからか、母の地方・徘徊の症状も軽くなったという。
日本では施設に入らなければ生活が回らなかったが、ベトナムでは施設にはいることなくコミュニティや町の人に助けられながら何とかなっているという。
己の土地(個人、地域、国・・・)への無責任で、貯金を持ち出し物価の安い国で過ごすことの是非はともかく。
戦後日本の政治経済・国民の生活は、それを豊かさの指標としてGNPの向上を追求してきた。
戦後から日本のGNPは一度も下がることなく昇り続けているが、国民の多くは豊かで幸せという意識は薄いだろう。
それでも未だGNPを豊かさの指標として掲げる政界財界に呆れつつも(どうせ国民を騙すならすでに崩壊している理論じゃダメちゃう?)この間に世間が失ったものは何か?
田中優が近いことを書いていたと思う。GNPは国内のお金の動く量が増えることで上昇する。
様々な因子があるにせよ、これまで地域コミュニティ内で行われていた相互扶助や自己責任を取り崩し、業者による有料サービスに取って換えることでGNPを高めてきた。
物々交換してたら、いくら地域や生活が活性しても経済指標に反映しにくいですからね。
物々交換のできない世の中、地域の相互の助け合いがなくなり、個人の果たすべき責任や役割が業者のサービスに取って変わられた世の中。住みにくいわけですよ。
ベトナムにはあり、日本では失われたモノ、それはGNP拡大の代償と言ってもいいのではないか・・・?