焚火は見てるだけで飽きない。
つらつらと炎を見ているだけであっという間に時間が過ぎてしまう。
さらに、焚火や焼石で調理して飯を食べるだけで、なんだ充実してしまう。
日本でもほんのちょっと前まで、家の中に炎のない生活は考えられなかった。
八百万の神々を信仰していた大和では、門・家・竈・水・土間・井戸・便所などにそれぞれの神様がすんでいて、それを敬ってきたし、神様とともにそれら道具を大事にしてきた。
中でも竈の神様(火の神様)は歴史も長く、神創生の神話の中にも登場し、古くから敬われてきた。
明治の文明開化にあっても庶民の家には土間と竈と火鉢が必需品。
大正に入りお屋敷では台所の様子も変り始めたが、庶民の家から竈が消えたのは大戦後の復興の波に乗ってから。
それまでは、どこの家にも竈と火鉢くらいはあったという。今では、田舎の古民家くらいにしかない。
暖房に灯油が普及したのも昭和20年代、ガスコンロが普及し始めたのは20年代後半。
たった50年。
ガスコンロのツマミをひねるだけで、調理ができる時代に生まれ、火起しの大変さも有難さも分からない。
そしても今時の家には、電子レンジ、電気炊飯、電磁調理器・・・炎すらない。
なんだか、切ない。
人間にとって火は生きるためになくてはならない存在だったし、人の進化に大きな影響を与えてきた。
人が火と関わる、火を使う、火を敬うということは、人間のかなり根源的な快楽なのだと思う。
火によって人は、人になってきたのだから。
アイヌの火の神様・アペフチカムイは人の言葉を解する唯一の神なので、神々への祈祷はアペフチカムイを介して行われる。
アイヌは深い悩みがあれば、一人で森に入り焚火を起し、アペフチカムイに相談するという。
アペフチカムイは、ただ黙ってあたたかく見守ってくれるそうだ。
こんな時代だからこそ、火を起し、火を通して、自分に必要なモノを探したり、見つめてみるのもいいと思う。
ということで、毎月、満月の夜を中心に、熊本の街中で焚火の会やってます!