最近、仕事とイベントと家庭のことで頭が一杯だったが、辻信一氏と話す機会があり、久々に環境問題について自分の感覚を整理してみた。
辻氏は環境運動家としては比較的悲観的で、「もう取り返しがつかないかもしれない」と言っている。
が、僕はさらに悲観的で、「あきらかに、取り返しがつかない。人類は行くところまで行くしかない」と思っている。
人類は様々な局面で、すでにデッドゾーンに踏み込んでいる。
一つでも危ういことに、幾つも踏み込んできている。ヒトが生るには適さない環境への変化という視点では、それらは相乗効果の様に見えるだろう。
今後、加速度的に環境は変化し、想定外な問題が際限なく奮発することだろう。
全ては密接にリンクしているので一つの項目を抜き出すことは稚拙だが、遺伝子と原子力の技術進歩は自然環境破壊レベルで人類の存続を脅かす要素になると思う。
危険性の裏腹に利権や目先のメリットが交錯しているので、比較的深刻さが表面化しにくいと思うが、最先端に近い部分の技術情報に目を通すとつくづく人類は狂っていると思う。これに限らず表面化していない要素は山ほどあると思う。
地球温暖化やゲノム環境の一様化など、日々叫ばれる環境問題は、大きな流れの膨大な変化に対する、小さな切り口から見たわずかな結果でしかないだろう。
人類はこの流れを突き進むしかなく、行くところまで行くしかないのだろう。
その人類であることをしかと認識しなければ、人類の新たな道と思って進めど、己の歪が広がるばかり。
無力感を拭い「私にできること」を考えよう、実践しようという呼びかけは大事だ。
絶望ではなく、希望を世界に広げることが、今の世の中には必要なことで、それを促すことを大前提として。
しかし、しかしそんな人類であることを腹に据え、パラダイムシフトしようと覚悟を持つなら、
そこに絶望を見据える眼が必要になるのではないかと思う。
数十年?数百年、ほんの数世代という間に、環境は加速的に変化し想像も付かない状況になるだろう。
外圧が増せば遺伝子が大きく変異することもあり得る。その可能性も含めて、かなり短期間で今の人類が生き残れなくなる可能性は高い。
外圧の多い環境で、精神的にも、身体的にも、社会的にも生き延びるには、強く生きる力が必要な時代になっていく。
家族の誰かを見捨てなければならない状況は過酷な選択だと思うが、そんな過酷さが奮発する時代と言っていいかもしれない。
更に言えば、そんな過酷さを抱えながら、福祉を考えなければならない時代なのかもしれない。
ヒトはどこへ行くのか。
表題に「無常の先に」と書いたが、僕は無常の先には何も無いと思っている。
様々な宗教的な解は、人それぞれとして。
それを腹に据えねば、道がないことも見えず、無いことを知らなければ、進むこともできない。
道がないから進めないのではなく、道が無いからただ生きる、ただ進むという原点に立ち返れるのだと思う。